引用:Google Map/さへきひろのぶさん
穴守稲荷駅は京急2本目の参詣路線です。神社へのアクセス目的の"電気鉄道"としては日本最古。
川崎大師と並んで人気のスポットなのは、京急による戦略だと言われてます。
今回は、その片割れ穴守稲荷駅の歴史や穴森稲荷神社の事を適当に調べてみました。
穴守稲荷駅の歴史。穴守稲荷神社と共に歩んだ内容が波乱万丈
引用:Google Map/伊藤善久(Yoshihisa Ito)さん
穴守稲荷駅は1902年6月28日に開業しました。
当時は「穴守駅」として、今の海老取川の近くに開業。
これには理由がありました。
関係者の反対で、神社から離れた場所になった
そんな事を考えていた京浜電鉄。
ですが、こっちでも反対運動が起こりました。
- 結構住宅がある
- 人力車の売上が減る
- 参道商店街の売上が減る
ということで、ちょっと離れた所に駅が設置されました。
穴守稲荷神社は川崎大師に次ぐ人気スポット
引用:Google Map
穴守稲荷神社は、明治30年代(1897年~1907年)には有名な神社でした。
- 伏見稲荷のように赤い鳥居がいくつもあった
- 正月には川崎大師と掛け持ちで巡る人が居た
- 社殿の裏手には人工的に稲荷山を作った
そんな人気スポット、京浜電鉄が見逃すわけなく
1901年には完成していた京急本線の蒲田駅から支線を作りました。
穴守線の延伸が実る
京浜電鉄は利便性を考え、もっぺん穴守稲荷神社の前に駅を作るよう動きました。
当然、関係者は反対。
話し合いの結果、新しくできる駅までの区間は、加算運賃を取る事で合意に至りました。
1913年12月31日、神社の前までの延伸が開通して新穴守駅が開業しました。
その影響で、翌月には土産物屋とか飲食店が一気に廃業しました。
羽田浦の開発が始まる
今や通称、羽田空港の場所は羽田浦という所で
多摩川の河口にできた干潟地でした。
それまでは漁業が盛んな所でしたが、京浜電鉄が進出した事で新たな産業が生まれました。
- 野球場
- 遊園地
- 海水浴場
- テニスコート
現代でいうベイエリアのような感じになってたそうです。
今度は工業系産業・・・京浜工業地帯のあおりを受けて、これらの施設は全部消えました。
羽田飛行場
関東大震災を受け、飛行機による物資輸送も必要だ
という話になり、羽田が候補になりました。
- そもそも干潮時に平坦で広い地面が広がる所
- それを利用した飛行機関連の学校と工場ができた
- 東京都心に近くて、ちょうど良い所が羽田だった
1931年8月25日に今の羽田空港の元祖、東京飛行場が開港しました。
この時、穴守稲荷神社はまだ飛行場のすぐ近くにありました。
戦争で破壊され、追い出される事に
1944年4月15日~16日の城南京浜大空襲で被害を受けました。
宝物、神輿、資料が消滅しました。
そして終戦後、連合国により東京飛行場が奪われてしまい、その敷地内にあった穴森稲荷神社も12時間以内に問答無用で出て行けと言われました。
もちろん周辺住民も一緒に。
交渉が行われて、退去までの期間は延長されましたが
とまぁマジで勝手な事をホザきやがりました。
新しい穴守駅は実質休止へ
稲荷橋駅は残りました。そっちは最初の穴守駅です。
さて、穴森稲荷神社は・・・
地面に埋めて何とか残ってたものがありました。
1946年頃には、あちこちの寺社の再建が行われました。
稲荷橋駅の場所のままでは周辺住民が不便だろうとの事で、300mほど西に動かしました。
1947年には地元住民が、いつまでも羽田神社に預けてられないから、移転先を探そう!
となって、1947年7月に移転先が決定。
その場所が今の穴森稲荷神社です。
空港敷地内に残っていた大鳥居を搬出しようとしましたが、駐留軍は拒否しました。
穴守稲荷神社の復活
1948年2月、御神体を移す事ができてようやっと神社が復活しました。
この時の本殿は、たった一坪半・・・約5㎡でした。
それでも復活に涙をこぼす人が居たそうです。
翌年には完全に戦後復興の気配が起こり、参拝者数も奉納額も増加しました。
駅名を新たに付け直す
1956年4月20日、移転していた稲荷橋駅の名称を、穴守稲荷駅に変更しました。
1962年には新しい社殿の工事が始まり、2年後に完成しました。
ほいで羽田空港の敷地には、旧穴守稲荷神社の一の大鳥居が残されてます。
年表
1804~1831年 | 穴守稲荷神社、創建 |
1900年頃 | 穴守稲荷神社の人気が爆発 |
1902年6月28日 | 京浜電鉄が穴守線を開通 |
1913年12月31日 | 駅を神社前に移転 |
1913年~1944年 | レジャー施設などができて賑わう |
1944年4月15日 | 城南京浜大空襲で被害を受ける |
1945年9月12日 | 連合国から強制退去させられる |
1946年8月15日 | 稲荷橋駅が200m西に移転 |
1947年7月 | 穴守稲荷神社、移転先が決定 |
1948年2月 | 御神体の遷座式が行われた |
1956年4月30日 | 稲荷橋駅から穴守稲荷駅に改称 |
引用:国土地理院地図
穴守駅ができて、神社前に駅が置けるようになったから
最初の駅は、稲荷橋駅に。新駅を穴守駅に。
その穴守駅が事実上の廃止に。
稲荷橋駅を移転して、名称を変更しました。
穴守稲荷駅のベストスポット穴守稲荷神社
この神社の特徴とか、「穴守」の由来を紹介します。
何の穴を守っていた?
穴守神社の由来は
波による浸食でできた穴の害から、田畑を守るお稲荷さん。
という意味から付けられました。
この辺りは多摩川による干潟でできた土地です。
水源も土地もあれば、農地になるのですが・・・なんせ海に近い。
ということで、海からの浸食に悩まされてました。
そこで、自然の力に抗えない人類は神の力に頼ろうとしました。
どんなご利益があるの
稲荷神なんで、五穀豊穣です。
地域柄で大漁満足もあり。
のちに旅行安全や航空安全の御利益もある・・・なんて事も。
俗説ですが
- 穴守から女性性病から守る信仰
- 大穴を願ってのギャンブラー信仰
なんてのもあります。
近年はウマ娘のイナリワンの由来として聖地巡礼地としても有名になりました。
穴守稲荷駅は住むより職場探しには良いかも
引用:Google Map
穴守稲荷駅のあたりは羽田空港が近いだけあって、多くの会社が近くにあります。
2013年には副駅名に「ヤマトグループ羽田クロノゲート前」が付きました。
穴守稲荷駅の周辺にある会社
空港利用者向けのホテルもあるし、ANAグループの施設もあります。
高速道路の出入り口が近い事もあって、物流系の会社やメーカーの工場がゴロゴロと。
色んな会社の事業所があります。
駅の南側は住宅地
駅の北は会社が並び、南側は住宅地です。
理想としては同エリア内での就職ですけど、そう簡単にはいかない事もあるでしょう。
羽田空港の利用者もちょっとウロつく場所なので、治安が良いとは言い切れない部分もあります。
また、都心へのアクセスはイマイチだし。
災害時のリスクが結構ある場所です。
住むなら頑丈な高い建物が良いでしょうね。気にしない人は気にしないけど。
まとめ:穴守稲荷駅は右往左往してた。今の駅は3代目
引用:Google Map
最初は神社周りの人たちに配慮して、離して設置。
折り合いが付いて、神社前に進出できたけど・・・
連合国軍による強制退去で新駅を閉鎖することに。
旧駅の場所では不便だろうとの事で、ちょい動かして今の場所になりました。
穴守稲荷神社は、川崎大師と一緒に正月に参拝するのが良いらしい・・・(京急の宣伝によると)
ま、それくらい昔から人気のある神社です。
ぜひ行ってみてね。伏見稲荷ほどではないけど、赤い鳥居がトンネルのようになってます。
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