当初は、こんな計画じゃなかったんですけど
色々な事情で堀ノ内駅から分岐する事になりました。
そもそも駅の位置も現在地とは違ったようです。
久里浜線のために移動したみたい。
堀ノ内駅、どうしてこうなった。久里浜線で変わった運命
引用:国土地理院地図
これは本来の計画には無かった事で、色々な事が重なってこうなったそうです。
現在の状態になるまで、どんな歴史があったのか順番に振り返ってみます。
堀ノ内駅の元祖駅
堀ノ内駅は1930年4月1日、現在地より180mほど県立大学寄りに開業しました。
この日は本線の開通日です。
ただ、開業当初は「横須賀
仮駅だった理由はよく分からない。
1936年に仮駅から、駅に昇格しました。
名称「堀ノ内」の由来
堀ノ内という地名は全国に結構あって、ほとんどは武士など権力者の家があった所とされてます。
城と同様に、攻められる事があるため堀とか盛り土をして、横や裏から侵入されないための構造をしてました。
それにちなんで、堀ノ内という地名が各地に残ってます。
で、その堀にあたるものが今でも残ってるのかというと
それは無いみたい。
参考: 三島正之「信濃堀之内城・布引城郭群の馬出の謎」『中世城郭研究』第33号〈特集・馬出を考える〉
横須賀市三春町にも屋敷があったと思われるが、実際どこにあったのかは分からんかった。
久里浜線の開通
久里浜線を作る事になって、堀ノ内駅をちょいとだけ移動させました。
ということで、国の後押しによって作られる事に。
配線の都合とか用地の都合もあったのか、駅をちょっと移動させる事に。
また久里浜線内折り返しや、直通運転のためにも2面2線から2面4線になりました。
現在の駅名「堀ノ内」になったのは1961年の事です。
2017年には新しい駅舎に更新されました。
堀ノ内駅、今後の予定
京急は将来的に全駅にホームドアを設置する予定ではありますが
堀ノ内駅への設置は2025年6月時点では、未定。
市議会では自転車置き場、どうにかならんのかと議論してました。
なんか使い方が良くなくて、縛りを強化するようでした。
参考:会議録検索システム
常識的な範囲を超える人が増えてきて、いちいち縛らんとアカンようになってきた事にモヤっとするね。
出入口は海側にしかなくて、山側は地形の都合で作るのは難しそうです。
堀ノ内駅あたりの住みやすさ
堀ノ内駅は全種別停車駅なんで、結構便利です。
- 横浜駅まで40分
- 品川駅まで70分
東京都心はちょっと時間がかかりますが、通勤圏ギリギリって感じでしょうか。
横須賀市が取った統計を見ると、市外通勤者の大半が横浜市でした。
その次に多いのが東京都。
横浜市の10分の2近くの人が川崎市と三浦市に仕事へ出てました。(横須賀市民全体の統計)
かかる時間的にも、やはり県内への通勤が限度やと思います。
堀ノ内駅は海が近いだけあって、海関連スポットが推し
この辺りは海が結構近いので、わりとどこも海関係スポットがあり
堀ノ内も同じで、釣りができる公園や市場があります。
海辺つり公園・展望台
釣りができる公園です。
タチウオは夏、夜釣りで釣れると言われてます。
魚といえば刺身ですが、タチウオは塩焼きもかなりイケる。
大きい型でないとイマイチだけど、柔らかい身質と脂が最高。
公園内にはトイレや水道がいくつもあるんで、利用しやすいです。
飯とかは近場のコンビニで。
公園には展望台があって、天気が良ければ千葉県富津の方まで見えます。
泉福寺
駅の山側にある寺です。
デカい垂れ桜やクロガネモチ(秋が見ごろ)があります。
春や秋に行ってみてはどうでしょうか。
株式会社横須賀魚市場
毎年10月に「よこすかさかな祭り」が開催され
かなりお得に魚が買えるし、珍しい魚が見れたり、地魚の試食会やらイベントを行ってます。
こちらの裏、海側にある新安浦港直売所は普段から魚介類を販売。
また近くには「魚がし食堂 はま蔵」があって、魚介料理中心の食堂もあります。
まとめ:堀ノ内って誰の家があったの
堀ノ内という地名などは、元々は武士の家があって周りに堀などを作った事による場所が由来とされてます。
じゃぁこの横須賀の堀ノ内って誰が居たのかな・・・と調べてみると
三浦氏、和田氏、佐原氏。この3家あたりかなと思います。
そもそもどこにあったのかもよく分かってないし、1次資料も見つからんかったので、勘弁して。
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