井土ヶ谷駅エリアは、そこまで有名かどうかは分からないけど、井土ヶ谷事件が起こった所です。
近年の事件ではなくて、幕末に起こった事件。
史跡というほど立派なものではありませんが、慰霊碑があります。
あとは神社とか緑地公園とか。
横浜市の中って事もあるのに、そんなに外部の人がわざわざ訪れるような場所ではありません。
井土ヶ谷駅のアレコレ。歴史や駅名の由来を調べてみた
井土ヶ谷駅は1930年4月1日に開業。
追加でできた駅とかではありません。
開業当初から2面2線で、特にデカい変化はなし。
井土ヶ谷の由来
井土ヶ谷と表記されてますが、「井出ヶ谷」「井戸ヶ谷」「井戸谷」と書かれてた事もあったようです。
この元ネタは地形で、くぼ地になっている事。
そして鎌倉時代には井戸があって、その井戸を中心に町ができていた事から、地名が付けられたとされてます。
参考:井土ヶ谷駅
ちなみに井土ヶ谷の北には保土ヶ谷という所もあります。
保土ヶ谷は、「榛谷」(はんがや)が変化して、保土ヶ谷になった・・・という説もあります。
元々は、幡屋(はたのや)だったそうです。
幡ってのは、ノボリなど仏教で使用される道具だったり、家紋を描いて目印とかに使ってたやつ。
他、アイヌ語の「谷」である「ホト」
丘陵の「保」と土地の「土」が合成された説もあるとか。
駅施設の改造
最初に行われたのは構内踏切の廃止。そして構内の地下道を設置しました。
これは結構早くて、1953年。
一気に飛んで2009年にバリアフリー化工事が始まり、2010年に完了しました。
保土ヶ谷駅の敷地内には、認可保育園の「京急キッズランド井土ヶ谷駅」も設置されてます。
残るはホームドアの設置ですが、今の所はまだ設置がいつかは決まってないみたい。
井土ヶ谷事件
井土ヶ谷では幕末に事件が起こりました。
- 1863年10月14日にフランス人惨殺事件が起こった
- フランス人3名は道を歩いていただけらしい
- 1人が死亡し2人は命に別状なし
- 実行犯の逮捕はできなかった
- 日本国としてフランス政府に対して謝罪と賠償を行った
まぁ同年7月には長州にて高杉晋作らが奇兵隊を作った時期だし、8月には長州の公家7家が京都から追放されるという、佐幕派と討幕派の間で結構ピリついてた時期です。
そう思われても、しゃーないでしょう。
生麦事件とは違って、ただ単に外国人だからという理由で襲われた・・・と言われてます。
慰霊碑はここ。
被害者のジェリー・アンリ・カミュは横浜市内の外国人墓地に眠っているそうです。
参考:井土ヶ谷事件
井土ヶ谷駅の周りにある、何やかんや
井土ヶ谷駅の周りはほぼ住宅地です。
これから紹介する一部はバスで行くような所ですが、それなりに行く価値のある所よ。(多分)
住吉神社(井土ケ谷)
創建年は不明とされてます。
名前の通り、住吉さんが祀られてます。
明治には神社の合理化のために近隣の神社が複数合祀されました。
神道には、そういう石塔を置く風習というか信仰は無くて、元々は大陸にあった道教が由来です。
ただ、宗教(特に神道は)も進化するもんであって、神道においてはサルタヒコがよく彫られるようになりました。
サルタヒコは導きの神様。縁結びとかに強く、そういう石碑にサルタヒコを宿らせて、道しるべにしたとか(?)
青山学院横浜英和高等学校
青山学院と連携している私立の学校です。
附属高校よりは関係性が薄い。
ただ、青山学院大学への推薦入学枠が希望者全員になったようで、この学校の人気が上がってるみたいです。
完全中高一貫なので、入るには中学校から。
主な特徴としてはキリスト教系の学校であること。
横浜市児童遊園地
井土ヶ谷駅からはバスで行く範囲です。
わざわざバスを使って行くほどの所か?と言われたら、うーん・・・だけど。
結構広い緑地公園で、年中何かしかの植物を楽しめます。
毎年11月3日の祝日には「農と緑のふれあい祭り」が開催されていて、野菜の販売もしているそうです。
上皇陛下の御降誕記念植樹もあります。
まとめ:井土ヶ谷はわりと住やすいところ
井土ヶ谷駅は急行停車駅だし、買い物に困るようなエリアでもありません。
ちょっと坂道が多いのがイマイチな点でしょうか。
隣の弘明寺みたいに、外からわざわざ訪れる人がほぼ居ないエリアなんで、ある程度の治安は維持されてるでしょう。
横浜市内で住むなら、わりと選択肢として良い所です。
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