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京浜急行電鉄の歴史や駅を調べてみた

京急田浦駅は偶然が重なってJRに勝てた、と思う。梅が咲く時期はぜひ行ってみて

京急田浦駅は偶然が重なってJRに勝てた、と思う。梅が咲く時期はぜひ行ってみて

引用:Google Map

今回は田浦です。頭に「京急」と入っているので、近くにJR東の駅があるんだろうと思ったら、まぁまぁ離れてた。

その辺の事情も適当に考察してゆきます。

この記事の内容
  • 京急田浦駅は田浦じゃなくて船越やんけ
  • 田浦はどんな町?やはり横須賀市なだけあった
  • 田浦の名物は見て良し、飲んで良し
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京急本線

京急田浦駅の歴史。なぜ船越地区に設置されたのよ

京急田浦駅の歴史。なぜ船越地区に設置されたのよ

引用:Google Map/Kishio Tadaさん

京急田浦駅の住所地は横須賀市船越町です。

だけど駅名は田浦。

田浦って名称が無くなったのかというと、そうじゃなくて
横須賀線田浦駅のあたりが田浦町です。

どうしてこうなったのか・・・順序だてて説明してゆきます。

田浦村の前身、浦郷村が成立した

1889年4月に田浦村・船越新田・浦之郷村・長浦村の4地域が合併して、浦郷村が成立しました。

この時はまだ京急本線も横須賀線もありません。

ちょうど同じ年の6月に横須賀線が開業しましたが・・・田浦駅はまだ開業してませんでした。

浦郷村

引用元:Google Map

ざっくりだけど、こんな位置関係。

ですので横須賀線田浦駅は、元々「田浦」という地域だったから、田浦駅と付けたのです。

京急田浦駅の開業

1914年に「村」から「町」へ昇格しました。

その時、浦郷村から田浦町に名称も変更しました。

この辺の理由はよく分かりませんが、どっちかというと「田浦」という地名の方が歴史が長かったようです。

田浦というのは、入り組んだ地形から「手浦」と呼ばれてたから、それが変化して「田浦」となりました。

田浦の地形

引用元:国土地理院地図

ちなみに平地はかなり少なくて、埋立地がかなり多いです。

特に丘陵地でもなく、海抜の低い所でもない土地はほとんど無くて、船越地区には比較的マシな土地がありました。

参考:横須賀市の地盤

こういう地形的な理由で、船越地区に村役場・町役場が設置されたと考えられます。

京急田浦駅は1930年4月1日に開業しました。

京急の方は、設置した駅の住所が「田浦町」だから・・・という理由で付けられました。

ただし、国鉄に同じ田浦駅があったので、区別の為に社名が頭に付きました。

見た目は同じですけど、駅名称を付けた時の理由がちょっと違います。

圧倒的に京急の方が利用されていた

圧倒的に京急の方が利用されていた

引用:Google Map

京急田浦駅と田浦駅を比較すると、2.89倍も京急田浦の方が利用されてました。

といっても位置が違い過ぎるんで、比較対象にするのが間違いだとは思います・・・

  • 田浦駅は絶妙な空白地帯を埋めている
  • 京急田浦駅は、元・田浦町の中心部にある

この違いから、利用者に差が出たと考えられます。

ちなみに隣の追浜駅の方がもっと多いです。

  • 追浜は特急停車駅
  • 周辺地域のバス路線は追浜に集中する
  • 京急田浦駅には近くに駐輪場がない

バス停は一応ありますが、追浜と横須賀を結ぶルート上の途中にあるだけ。

ですので、京急田浦駅の利用はわりと限られてます。

京急田浦駅あたりの特徴、歴史

京急田浦駅あたりの特徴、歴史

引用:Google Map

京急田浦あたりは平地が少なく、三浦丘陵のゴツゴツとした地形がモロにあって、元々はそんなに人が住む所ではありませんでした。

人口が増えてきたのは江戸時代からだったと思われます。

歴史的・地政学的な背景

田浦あたりは少なくとも鎌倉時代から歴史があった地域と見られます。

現在よりも海岸線はもっと陸地にあって、国道16号線あたりが境界だったようです。

土地としての人気が上がったのは、江戸時代でした。

  • 東京に政府が設置された事
  • 外敵からの侵略を防ぐため
  • 横須賀あたりの地形や場所が最適だった

ということで、田浦地区も防衛の拠点となってました。

そういう場所ってのは近現代も考え方として変わらんワケで、明治以降は日本帝国軍の施設が設置されました。

今でも海上自衛隊在日米軍の施設がありますね。

首都圏の影響を受ける

戦後から現在に至るまでは、東京の発展にともなって住宅地が爆増しました。

といっても田浦地区で新しい住宅地は「港が丘」とか船越8丁目あたり。

田浦地区

引用元:Google Map

もっと範囲を広げたらあちこちにありますが
バス路線的には追浜駅の範囲だったり、東逗子駅の範囲となってしまいます。

船越8丁目ですら怪しいもんで、追浜駅の方が行きやすいです。

・・・とは言いましたが、利用者が増えたのは確か。

京急田浦駅は普通しか停まりませんが、次の次が金沢八景なんで、都心へのアクセスがそこまで悪くありません。

よく言えばわりと静かな所。悪く言えば活気が無いとも言えるそうです。

飲食店や、買い物する場所があまり充実してないのもイマイチと答える人が居ました。

参考:LIFULL HOME'S

田浦といえばここ、田浦梅林

田浦といえばここ、田浦梅林

京急田浦駅からはちょい遠いし、近くのバス停からでも歩いて10分以上はかかります。

ここの歴史は1934年、上皇陛下の御生誕を祝って、地元の有志が梅を植えたのが始まりです。

1982年にも横須賀市が梅を植樹したことで、規模がさらに拡大しました。

現在では2000~2700本くらいの梅が植えられてるそうです。

見ごろは2月上旬~3月中旬。

その時にはお祭りが開催されて、めっちゃくちゃ人が来るそうです。

地元の名産品として、梅酒が生産されてます。

アクセスルートは、京急田浦駅でゲットできる(?)「たうら観光マップ」が分かりやすいとのこと。

結構な高台にあり、展望台もあるので、天気が良ければ眺めが良いです。

かなりの上り坂なので散歩気分で行くと、大変な目に遭うかも。

まとめ:京急田浦駅は偶然によってJRに勝利した?

京急田浦駅は偶然によってJRに勝利した?

引用:Google Map/くまさん

京急田浦駅は一応ライバル関係であるJR東に数字で勝ってると言えます。

JRの田浦駅の立地が悪すぎる事が原因でしょうが。

あとは、たまたま役場を設置したのが船越地区だったから。

湘南電気鉄道は狙って船越に駅を置いたとも考えられますね。

どうも地形を見てみると、現在位置以外にちょうど良い所が無いってのも理由だけどね。

そんでJRとは1km以上離れてるため、本当の所は競合他社駅がないってのもあるでしょう。

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