京急富岡駅は近くに同名の駅がないのに、頭に社名が入ってます。
場所的にはJR線がないので、同名駅が他県にあるパターンで混同を避けるためかな?と思いました。
実際はどうだったんでしょうかね
- 京急富岡駅の歴史。最初は夏限定の駅だった
- 富岡の由来は地形由来か。別の説もあったけど、ほんまかいな
- 富岡エリアを守ったとされる神社や庭園
京急富岡駅の、駅名称、駅構造について考察してゆく
京急富岡駅は駅名の頭に会社名をわざわざ入れてますが、近くに同名の駅がありません。
なぜ冠称を付けたんでしょうね。
最初は仮駅だった
京急富岡駅は1930年7月に開業しました。
ですが、この時はまだ海水浴客専用の仮駅でした。
現在の地形では分かりませんが、かつては海岸まで直線距離350mほどの所に砂浜がありました。
開通からはちょっと期間が空いてて3ヶ月ほど。
ですので、優先順位が低かっただけだと考えられます。
1931年に一般の駅に昇格しました。
その後、1945年の空襲で破壊されて営業を休止。戦後に廃止へ動きました。
位置を変えて復活。そして元通り
京急富岡駅は1947年3月に場所を変えて復活しました。
場所はここ。
旧海軍基地を使ってGHQの関連施設が設置されたそうで、専用の駅として復帰しました。
ですので当時の一般利用はできませんでした。
翌年の1948年には一般客も使えるようになりました。
場所的には使い勝手が悪いと思うけど・・・
わりと早くに宅地開発が行われるようになり、元の場所に移転しました。
※1955年に移転
京急富岡駅となった理由
元通りのあとは駅名の頭に付いている会社名が変わったくらいです。
で、富岡駅は近くに同名駅がないのですが、なぜわざわざ京急と付いているのか・・・
群馬県富岡市や、福島県双葉郡富岡町にも富岡駅があったからだと考えられます。
混同を避けるためでしょうね。
京急の場合は、地域名である「武蔵」とか「相模」を使いませんね。
さて、富岡の由来は地形と言われてます。
三浦丘陵の影響でいくつもの丘があるため「十三岡」とか付けられて、富岡となったとか。
キジを狩って帝に献上した事から「鳥見ヶ丘」と呼ばれ、こいつが変化したという説もあるそうです。
参考:金沢区の地名と由来
「丘」と「岡」は漢字が全然違いますが、意味は同じです。
ですので地形説がかなり有力かな?と思います。
ちなみに富岡製糸場は、群馬県富岡市なんでこの富岡とは関係ありません。
なぜ片方だけに待避設備があるの?
京急富岡駅は2面3線の駅で、上り線の方だけ待避設備が設置されてます。
こういう系統の駅は他にもあって、鶴見・生麦・堀ノ内がありますが、鶴見と生麦はセットになってるし、堀ノ内は本線と久里浜線の分岐駅なんで、また別です。
これについてはあくまでも予測ですけど
- 輸送力を増やすために設置された
- 文庫、八景より北という位置
- 需要は明らかに上りの方が多い
という理由で片方だけ設置する事にしたのでしょう。
品川からの下りは、本線と空港線に振り分けて丁度良いだろうし。
その分、不必要だということで上り線だけ待避できればいいという判断でしょ。
京急富岡駅は高架駅で、エレベーターがもう設置されているんで、特に今以上に何か改善する点はないかと思います。
京急富岡駅あたりの町を守った神社とか、庭園を紹介してゆく
京急富岡駅の近くには同じ名称がついた神社が・・・
あとは画家の別邸や、公立高校があるんで紹介します。
富岡八幡宮
京急富岡駅よりは海側にあります。
場所の関係や地形の関係で、大昔に津波から街を守ったという話・・・
ただ、その話は神社にしか残ってないので、ホンマかどうかは微妙です。
起こった年は1311年~1312年の間。
日本においては、その時期の大地震の記録は無かったようです。
ただ、日本はチリ地震の津波の影響を受けた事があるので、かなり離れた所の海底プレート型地震の可能性もあります。
そんないわれから「波除八幡」という別名が付けられました。
海に近い所ですが、波の影響を受けない高台にあります。
ですので階段を上がって行く必要があるんで、人によっては参拝がキツいでしょう。
階段横にスロープはありますが、車椅子が自力で上がれる角度ではないので、無茶な事はしないように。
この神社の近くに家系ラーメンの並木家があります。
吉村家系統ではなく、オリジナルの"きたくり家"の系譜です。
神奈川県立金沢総合高等学校
通称、金総と言われてます。
神奈川県では女子バスケの名門とか言われてましたが、名将が引退した事によってインターハイ出場の記録が途切れてしまいました。
総合学科というのは、普通科と専門学科の間にある学科です。
いわゆる普通科のカリキュラムもやりつつ、選択できるものが他に色々とあります。
だから・・・

こんな人にはピッタリの高校だと思います。
旧川合玉堂別邸(二松庵)庭園
日本画家、川合玉堂の別邸跡地です。デザインは自分でやったらしい。(?)
川合玉堂の作品は風景画が多いです。
晩年の頃は、ザ風景画で日本の山あいとかを描いてたみたいですが、若い頃は山水画という水墨画みたいなやつを描いてました。
この別邸に川合の作品はありません。
作品は玉堂美術館(東京都青梅市御岳1の75)に収められてます。
富岡の別邸は、庭園が見れるだけ。
見れるといっても毎月の第1土曜日だけです。
ボランティアの方によって維持されているので、かなり観覧を絞っています。
詳細はこちら→横浜市金沢区
まとめ:京急富岡の同名駅は近くにありません
京急富岡駅は、群馬や福島にある同名駅と被らんようにしたと思われます。
近鉄はこういうパターンの時は地域名を入れるのですが、京急は自社名を入れるようです。
慣れてないからだと思うけど、確かに武蔵富岡は「え?」と思いますね。
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