だけど、駅の開業は久里浜駅と一緒でした。
この駅も京急らしい(?)駅名がコロコロ変わった駅だったみたいです。
北久里浜駅は2度変身した。それぞれの由来が意味不明
引用:国土地理院地図
わざわざ「久里浜」に「北」と付けてるんですけど、後から追加された駅じゃありません。
でも、今の駅名は1963年に付けられたものです。
昭南駅
北久里浜駅は1942年12月1日に開業しました。
この日は京急久里浜線の開通日で、京急久里浜駅まで開業し、北久里浜駅も同日に完成。
当時の駅名は「昭南駅」でした。

昭南というのは今のシンガポールの事。
シンガポールは日本が1942年から占領した所で、日本名「昭南島」としてました。
そっから取ったそうです。
ちなみに新大津駅も昔は鳴神駅となってて、大日本帝国軍が占領した島の日本名から取ってました。
>>新大津駅は鳴神駅だった。この名称、どっから出てきたの?採用理由が謎すぎる(笑)
戦時中にぶん取った所の名称を駅に採用した理由について、考察した人によると

なんし、京急が先に久里浜まで鉄道を通しても、結局は国鉄を使われてしまいますからね。
湘南井田駅
戦後に駅名が変更されて、湘南井田駅となりました。
他にも井田駅があったかどうかは分かんないけど、現在でも紀伊井田駅があるし、かつては岡崎井田駅もありました。
どー見てもよくありそうな名称なので、区別の為に頭に「湘南」と付けた・・・と思います。
さて「井田」は、"軽く調べた限り"では地名に存在しませんでした。
ヒットしたのは、横須賀市根岸町の井田横穴群。
この辺りにあるみたいで、横穴タイプの古墳が見つかっていて人骨があったそうです。
井田が地名かどうかもよー分からんけど、分かる限りでは井田横穴群くらいでした。
この名称から、井田が地名かど水田由来や人名由来とは考えられますね。
北久里浜駅の開業、特徴
1963年11月1日、北久里浜駅となりました。
「久里浜」という地名は、浜辺にある岩礁の事が栗のように見えたから・・・と言われてます。
北久里浜駅はよくある2面2線タイプ。
駅の出入口に階段があって、車椅子の人はどうやって使うんだ?と思うけど
出入口の横にエレベータがあります。
階段の段数は11段で、それがためにエレベータが設置されてるらしい。

と思ったけど、多分自力で登れる傾斜角度で作れるほどのスペースが取れなかったんだろね。
利用者数は、久里浜線内においては京急久里浜駅に次ぐ数値です。
これは北久里浜駅にもバスが結構通ってて、周辺住宅街からの利用者が集まってきてるみたい。
14路線(系統)が駅バス停にやってきてます。
北久里浜駅の周りにあるもの・・・家ばっかりだけど
引用:国土地理院地図
北久里浜駅の近くにはなんかデカい古墳があったらしいけど
宅地造成でなくなってしまいました。
大塚山古墳という前方後円墳があって、遺物は市立博物館に保存されてます。
→横須賀中央と県立大学の間にある博物館
湘南学院高等学校
古くからある学校で、かつては女学院だったみたい。
今は普通科共学の私立高校です。
入学時点で4コースに分かれて受験するタイプ。
- サイエンス(特進理数)コース
- アドバンス(特進)コース
- アビリティ(進学)コース
- リベラルアーツ(総合)コース
以上4つに分かれてて、希望する卒業後進路を目指します。
女子バスケ部、サッカー部が強い。
きたくり家本店
家系ラーメンだけど、インスパイア系みたいな感じ。
といっても個人でやってるんじゃなくて、資本系の店です。
家系ラーメンのなかでは、さっぱり系と言われてます。
参考:株式会社湘南フーズ
まとめ:北久里浜は2回変身したけど、まだ残してる?
北久里浜駅は昭南→湘南井田→北久里浜と駅名を変更してきました。
最初の名称は、大日本帝国軍が占領したシンガポールの日本名でした。
井田は横穴(古墳)に付けられた名称です。地名としてかつてあったかもね。
北久里浜エリアもバチクソ住宅地です。観光しに行く所じゃありませんな。
住みやすさは普通って感じ。駅から近い所ならかなり住みやすいでしょう。離れたらバス・車必須です。
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