京急library

京浜急行電鉄の歴史や駅を調べてみた

港町駅の元祖はコロムビア前駅だった。なんやねんこれ。てか、変わり過ぎじゃ

港町駅大師線で川崎の次の駅なんで、ちょっと影は薄めかも?

位置関係的にもそうだし、駅の南は公営ギャンブル施設がどーんとあり、住宅地が少ないため、利用者も大師線でワースト1位。

そんな駅だけど、わりとネタはあります。

この記事の内容

港町駅」は仮の姿。本来の名称は全然違った

「港町駅」は仮の姿。本来の名称は全然違った

港町駅の元祖は1929年に開業しました。

大師線の開通は1899年なので、30年くらい後ですね。

港町駅ができるまでに京急川崎と接続したり、路面電車から鉄道にしてルートの変更も行ってます。

詳しくはこちら→京急大師線の歴史。京急はここから始まった。現在アップグレード中・・・今後の変化に注目

(臨)河川事務所前停留場→コロムビア前駅

港町駅、最初の姿は臨時停車場でした。

これは2年でいったん廃止になりました。

そして1932年3月21日、コロムビア前駅として開業しました。

コロムビアってのは会社の名前で、日本コロムビアというレコード会社の名前でした。

日本のレコード会社は、このコロムビアが最古の会社です。

戦争による影響を受けて大変化

戦争による影響を受けて大変化

まず1943年7月1日に、コロムビア前駅が休止しました。

この約1年前に大東亜戦争の戦況が逆転してしまってて、日本の状況は良くありませんね。

ですので一時的な節約モードで、休止になったのかな?と思います。

1944年2月1日に営業を再開しますが、駅名がゴロっと変わりました。

  • 外来語の使用を禁止
  • 会社名が入っているため、狙われる危険がある

という理由から、港町駅に改称されました。

そもそも川崎の海に近い所は船着き場としても発展してたし、漁師の基地でもあった事から、通称「みなと」と言われてて、そっから港町となった・・・と考えられます。

川崎は昔、フルーツの栽培が盛んでナシ、モモ、ブドウが採れてました。

だけどこいつら陸路で運ぶと振動で痛んでしまうため、貨物船が選ばれました。

そういう事情もあって、水運の町だったのです。

移転と改造

移転と改造

引用:国土地理院地図/編集:京急lib

1956年10月18日、港町駅を今の場所に移転しました。

日本コロムビアの川崎工場はまだあるのですが、戦後にできた競馬場・競輪場のアクセス向上のためなのか・・・開設からは年数が経ってますけど、移転しました。

ハッキリとした移転理由は分からん。

だけど、他の理由が見つからなかったので、多分公営ギャンブル場ができたのが要因でしょう。

2013年~2014年にかけて、駅の改修工事が行われました。

日本コロムビア川崎工場は2007年に閉鎖。その跡地にタワーマンションが建設されました。

と、まぁ色々と改造しました。

モニュメントってのは、元の駅名コロムビアにちなんだもので「港町十三番地歌碑」が設置されてます。

ということで駅のメロディに採用されてたり、ホームにはメロディ譜も描かれてます。

港町駅の移設は白紙に。踏切はどうなる?

大師線ボトルネックになっている踏切がいくつかあって、そいつの除却のため色々と工事が行われてます。

で、港町駅の辺りも大幅に改善される予定だったんですが、費用が莫大になるという理由で白紙に。

別の方法で踏切はどないかする・・・という話になってます。

ただ、川崎市の事業内容を見ると、港町はほぼイジらないんじゃね?と思いました。

住民があんま困ってないみたいですし、そんなに車の行き来があるルートにも見えませんからね。

それに車はう回ルートがあるし。

踏切の除却はせずに温存して、車が通れなくなるようにポールを置く程度になるか。
それとも何もしないか・・・
だと思います。

港町駅の近くにある有名なもの。見どころ

港町駅の近くにある有名なもの。見どころ

港町駅大師線の中では結構影が薄い駅ではありますが
何だかんだで見る所はあります。

日本コロムビアの展示品

港町駅の近くにあった「日本コロムビア」の展示品があります。

場所は駅の北側、タワーマンション・リヴァリエのB棟です。

もちろん入居者じゃなくても入れますが、平日9時~17時まで。

ふるーい蓄音機やレコードが置いてあります。

六郷橋

多摩川にかかっている橋で、渡れば東京都大田区

対岸の河川敷には公園があるんで、住民にとっても良い所。

箱根駅伝のルートにもなっていて、1月2日と3日はちょいと賑やかです。

また六郷橋大師線がクロスする所の川崎側は、旧川崎駅の跡がわずかに残ってます。

医王寺

805年に創建されたらしい、かなり古いお寺です。

池を囲んでいる七福神銅像とか、カニのモニュメントとか塩解地蔵があります。

まんが日本昔ばなし」にもなったカニの話。

寺で飼っていたカニが居て、ある日寺が大火事になった時、カニが延焼を防いだって話があります。

もう1つが、塩解しおとけ地蔵。

子供にデキモノが流行って、村人が地蔵様に塩をこすって願掛けしたら治りました。

だけど地蔵様の素材的に塩は天敵で、どんどん塩で溶けていってしまいました。

川崎河港水門

鈴木町駅との間にある水門です。

(臨)河川事務所前停留場は、この水門のためにあった・・・と言っても良い。

国の登録有形文化財にしていされてます。

川崎市が運河の建設計画を出し、この水門を完成させました。

当時の川崎市の名産だったナシ、モモ、ブドウの浮彫りが水門に装飾されてます。

と、まぁ頑張ってこさえたんですけど・・・戦況の悪化で1943年に運用停止となりました。

まとめ:港町駅は駅の南側だけじゃなく北側もブラついてみて

港町駅は駅の南側だけじゃなく北側もブラついてみて

港町駅川崎競馬場や競輪場の最寄り駅ではありますが、この駅のエリアはそこだけじゃない。

まぁ好みもありますが、日本コロムビアの展示品とか有形文化財もあるんで、見てくださいな。

医王寺もパワースポットの1つだし。

川崎大師のついでにでも寄ってみてください。

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