引用:Google Map
生麦駅と聞いてふと、よぎるのは江戸時代終盤に起こった生麦事件かも。
結局、どういう事件なのかよく覚えてないし、歴史の教科書で触れるような話だったか?と思うかもしれんけど、歴史の転換点です。
そんな歴史的な話もし、ここでしか行われてない伝統の民俗行事も紹介してゆきます。
生麦駅のすぐ横にある踏切はどうなる?痛ましい事故が続く
引用:Google Map/りんパパさん
生麦駅のすぐ横には生見尾踏切があり、これまでに何度も事故が発生しています。
危険だということで踏切を無くす動きがあるんですが、反対意見もあって進んでません。
踏切廃止後の跨線橋イメージはできているが
引用:東京大学公共政策大学院・生見尾踏切廃止、跨線橋設置事業の費用便益分析
同じようなイメージ図が踏切近くの看板にも設置されてるようです。
今も跨線橋があって、両端にエレベーターもあるのですが
車椅子での移動は不可能です。
跨線橋の途中に階段があるから・・・
だからもっとグレードの高い跨線橋を作って踏切を無くそうとしてるんですけど
こういう意見もあって、あまり前身してません。
生麦駅の開業~グレードアップ
生麦駅は1905年12月24日に開業しました。
川崎から神奈川まで、線路を通した日と同日です。つまり、古参駅の1つ。
1967年11月に橋上駅となり
1991年に待避線の設置工事が始まりました。
生麦駅の待避線は下り方面だけ。これは京急鶴見駅に上り線の待避線ができていたから。
※鶴見の記事はこちら→京急鶴見駅は副駅名が2つ付いていた。京三製作所と大本山総持寺はどんな所
用地に制限があったので、待避線の設置には工夫が行われました。
- 元々の上り線を、下り待避線に
- 新設上り線は緩いカーブで設置
- ホームをズラして幅を取らないように
限られたスペースしかない所に待避線を増やすため、知恵を絞ってますね。
知らない人は居ない?「生麦」この由来は・・・
歴史でほぼ学ぶであろう生麦事件で、生麦という地名はあまり知らない人は居ないでしょう。
この由来は・・・
徳川秀忠(2代)の行列が通った時、道に水が溜まってました。
通るのが困難なくらい・・・そこで村人たちがその辺にある麦を刈り取って、通れるように協力しました。
秀忠はそのお礼に「生麦」という地名を与えたそうです。
それだけじゃなく、特別な漁業権利も付けました。
歴史の転換点、生麦事件
引用:Google Map
概要だけ言うと、薩摩藩・島津の行列に遭遇したイギリス人たちが列を乱してしまい、切られた事件です。
大名行列に突っ込んでしまったイギリス人が悪いのですが、言葉があまり通じてなかったのもトラブルに発展した原因と言われてます。
ポイントとして
- 大名行列に突っ込む=即処刑ではない
- その前に注意、警告してくれる人が居る
- そのため、切り捨てられる事はほぼないし
- せいぜい身柄の拘束や見逃しが多かった
- 行列の責任者は、何かあれば切腹させられる
- だから最悪の場合は切り捨てられる
参考:大名行列.com
イギリス人は馬に乗ってたんで、ルールとしては下馬しなければいけなかった。
だけど「降りて避けろ」と言ったのが間違って伝わり、降りずに避けて通れば良いと思ってしまった。
イギリスの人たちは、藩主が居る近くまで進んでしまうし
そんな所まできて、やっと「何かおかしい」と思って、慌てて無茶に動いたのが良くありませんでした。
1名が死亡し、2名が重傷する事件になってしまいました。
参考:「生麦事件の始末」「薩藩海軍史」「遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄」
薩摩とイギリスの交渉
幕府に対して10万ポンド、薩摩藩に2.5万ポンドの賠償金を求めました。
※現在の価値に換算するのは難しいのでスルーして
これに幕府はホイホイと支払いましたが、薩摩藩は「知るかボケ」と、突っぱねました。
イギリスはブチギレて武力を見せつけに鹿児島までやってきましたが、薩摩は応じません。
そして薩英戦争が始まりました。
結果から言えば、痛み分け。
- 薩摩の賠償金は他藩の建て替えで支払い
- 犯人引き渡しはなし
これで交渉が成立しました。
薩摩側は犯人が行方不明としてましたが、嘘でしょうね。
その後、薩摩はイギリスと結構友好的な関係を築きます。
これが薩摩藩の武力をよりアップする出来事でした。
そっから倒幕運動に繋がってゆくのです。
参考:刀剣ワールド・薩英戦争
黒船の襲来もそうですが、あの薩摩が勝てないと分かった日本では、安易に「攘夷(じょうい)」を言うのは無茶じゃね?という流れになりました。
あくまでも個人的な見解だけど・・・
日本に来ておいて日本のルール知らんがな。日本語知らんがな・・・は通用しないと思います。
過失割合でいえば薩摩1:英国9ってとこかな~って思いました。
生麦駅エリアの神社や学校、工場施設
引用:Google Map
生麦エリアでは無形民俗文化財に指定されている祭りが行われてます。
珍しい祭りなんで、時期はぜひ行ってみてね。
道念稲荷神社
引用:Google Map
できた時期は分かってません。少なくとも江戸時代末期にはあったようです。
- 茅で作った大蛇を担いで町を歩きまわる
- 蛇は疫病をもたらす悪霊を払うもの
- 疫病を媒介する蚊も追い払う
医療の発達していない時代は、こうやって病を避けようとしてたんですね。
神社そのものは小さな社で、フルスペックの神社ではありません。
賑わうのは、お祭りのある日くらいです。
横浜商科大学つるみキャンパス
引用:Google Map
商学科、観光マネジメント学科、経営情報学科を設置。
卒業後にビジネスの場で活躍できるよう、わりと実用的な講義をしています。
じゃぁ起業してる人が居るんかと思いきや、10%未満って所です。
在学中に様々な資格を取る人が居るけど
- 日商簿記1級
- ITパスポート
- 旅行業務取扱管理者
これらの受験制限はないんで、わざわざ横浜商科大学に行く必要はありません。
ある程度、卒業後の進路が決まってるなら、こういう所で学ぶ方が良いかも・・・
キリンビール横浜工場
引用:Google Map
あのKIRINの工場です。
工場見学と試飲ができるツアーがあります。
アルコールが飲めない19歳以下は無料。
1回90分くらいで、参加費は500円です。
詳しい案内はこちら→キリンビール 横浜工場
キリン横浜ビアホールというレストランも併設されてます。
キリンビール好きなら、1度は行ってみて。
まとめ:生麦駅の工夫と歴史が面白い
引用:Google Map
生麦駅は単純構造の駅でしたが、輸送力アップのために待避線が設置される事になりました。
だけど用地に制限があったので、ホームをズラしたり配線を工夫したり・・・そのため、ちょっと面白い駅の構造をしています。
あと生麦事件は歴史の勉強で触れた事や、名称が独特だから覚えてた人は居るかも。
でも、どんな事件で、どんな背景があったのか・・・その後の日本史に与える影響はどんなのだったのか・・・その辺が改めて分かりましたねぇ。
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