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京浜急行電鉄の歴史や駅を調べてみた

新馬場駅が無駄に長い理由は、駅の歴史にあった。東海道に関係ある、この駅名の正体は

新馬場駅が無駄に長い理由は、駅の歴史にあった。東海道に関係ある、この駅名の正体は

引用:Google Map

今回は新馬場駅。品川区にある駅で「新」と付いているのに、同名の駅がないので何かしらありそうだなぁ・・・と思って選びました。

この駅の歴史を見ると、元々は2つの駅だったのです。

この記事の内容
  • 新馬場駅はもともと2つの駅だった。なぜ統廃合されたの?
  • 駅名の「馬場」とは何?今でも馬場は残ってる?
  • 新馬場駅の副駅名に一時採用された、寺田倉庫あたりや周辺を紹介
京急本線
青物横丁>>

新馬場駅はもともと2つの駅だった。なぜ統廃合されたの?

新馬場駅はもともと2つの駅だった。なぜ統廃合されたの?

引用:Google Map/まった親父さん

新馬場駅の駅舎が完成したのは1976年です。

ですが、その元祖の駅はそれよりもだいぶ前で、1904年に開業してました。

延伸当初からあった南北の馬場駅

京浜電気鉄道が大森海岸~北品川間を開業した1904年5月8日に、北馬場駅と南馬場駅が開業しました。

この2駅の駅間は300mくらい。

目黒川を挟んでいるので、地域住民の利便性向上のために2駅置いたと考えられます。

戦時による休止

戦時による休止

1943年7月1日に節約のため、北馬場駅だけが営業休止になりました。

翌年の11月には廃止にまでなってしまいます。

北馬場だけ止まったのは

  • どっちかというと北品川の方が近い
  • 廃止といっても北か南の片方が妥当

こんな所でしょう。

1946年10月には北馬場駅が復活しました。

戦後復興が進んで、元に戻しても大丈夫と見込んだか、復活を希望する人が多かったのか・・・
理由はよく分かりませんが、北馬場駅の営業を再開しました。

北馬場と南馬場が統廃合された

馬場駅あたりは立体交差化事業が行われました。その時に統廃合する事に。

差事業の大きな理由は、東京湾岸道路と交差するからでしょう。

新馬場駅と国道357
引用:Google Map

1960年くらいまでは無かった道路です。多分、道路計画とセットで障壁になるから高架化されたんだろね。

まずは下り線だけが高架化され、下り線ホームだけが統合しました。

1976年に上り線も完成して、新馬場駅となりました。

この時の工法は、当時からしたら新しい方法で、仮線を作らない方法でした。

工事に使用した機械は京急が独自に開発したもので、鉄道業界の注目を集めました。

特に「馬場」と名乗る駅はないのですが、新しくできた馬場駅という事で、頭に「新」を付けたみたいです。

2駅を統合してできて、北・南両方に出入口を付けたし、ホームもそれに伴って長くなってます。

ですので、停まる事は無いのに11両くらいの有効長がある駅です。

2014年には副駅名「寺田倉庫前」が追加されましたが、2020年に削除。

理由はよく分からんけど、天王洲アイル駅にも付いているし、新馬場駅からはまぁまぁ距離があるからかな・・・

寺田倉庫については、あとで簡単に紹介します。

駅名の「馬場」とは何?今でも馬場は残ってる?

駅名の「馬場」とは何?今でも馬場は残ってる?

駅名の由来は「馬場地」です。

馬場地というのは、乗馬を行うための土地らしい。

馬小屋があった

新馬場のあたりには、品川宿がありました。

品川宿東海道、1つ目の宿です。

そこには馬が用意されていて、一部の旅人には無償で提供する義務がありました。

今でいう公用車みたいなもんです。

江戸時代に車なんかないので、移動はもっぱら自分の足か馬でした。

幕府公用の旅人が使ってたそうです。

そんな地域だった事から、馬場と言われるようになりました。

品川区の拠点だった

品川区の拠点だった

引用:Google Map

高架化前の北馬場駅のあたりには、品川区の旧本庁がありました。

ですので、今でも新馬場駅のあたりには品川区の公共の施設が多いです。

そもそも旧東海道新馬場駅の東側で、馬場まであった一帯です。

歴史的にみれば、どこが中心地だったかは一目瞭然やね。

ちょっと戻って品川宿について

新馬場駅のあたりは、品川宿のエリア内でした。

品川宿そのものは結構広くて、京急駅でいう北品川~青物横丁くらいまでありました。

エリア分けは単純に、目黒川を境に区分されて、それより北が北品川宿。南が南品川宿です。

旧東海道は地図で見れば分かりますが、道路沿いの建物はもう雰囲気がありません。ただの住宅街

ですが、個人商店も並んでいるので、何となく古くはココがメインストリートだった事が分かるかと思います。

新馬場駅の副駅名に一時採用された、寺田倉庫あたりや周辺を紹介

新馬場駅の副駅名に一時採用された、寺田倉庫あたりや周辺を紹介

引用:Google Map

新馬場駅品川宿があっただけの立地で、寺社が多いです。

それもありますが、近現代にできた所も紹介してゆきます。

寺田倉庫は倉庫屋ではなかった

寺田倉庫は倉庫屋ではなかった

引用:Google Map

寺田倉庫はそこいらの物流会社ではなく天王洲にある、イベントスペース貸出屋です。

このエリアは水辺の景観も良く、結構ドラマや映画やCMのロケーション撮影で使用されました。

埋立地ではありますが、元々は海中の土砂が堆積してできた所。

江戸時代、漁師の網に牛頭天王ごずてんのうの面が入って、この辺りから引きあがった事が地名の由来です。

牛頭天王は八坂神社の祭神。神仏習合の神という特殊な立場です。

品川神社

品川神社

引用:Google Map

1187年、海上の交通安全を祈願してできました。

のちに東京十社に定められます。

東京近郊にある神社で、元は別のくくりで12社ありました。

現・皇居を守護する神社として明治天皇が定めた神社です。

准勅祭社

引用:Google Map

皇居近くの神社をプロットすると、こんな位置関係。

他に2社ありますが、ちょっと遠いんで割愛しました。

あまり関係なさそうですね。あえて言えば西が開いてますが、府中の大國魂神社も12社のうちの1つです。

とはいえ、高尾山からのパワーを引き込むラインとして西は開けておいて、その他の方角は閉じた。
ようにも見えますね。
ちなみに鬼門と言われるのは、北東(南西)です。

品川神社は他に東海七福神の1つがあります。

品川神社は大黒天が祀られていて、常時参拝可能。

他は正月の期間でないと参拝できないのが多いようです。

東海寺

東海寺

引用:Google Map

もういっちょ寺社。ここは"たくあん"発祥の地と言われてます。

徳川家光が兵庫から沢庵宗彭たくあんそうほうをスカウトしてきて、寺を作りました。

漬け物自体は江戸以前からありましたが、塩が貴重なので都に近い関西で普及してました。

それを持ち込んだ沢庵和尚が寺で大根漬けを食ってた所、家光も気に入ったそうです。

名前が決まってなかったので、大根漬けの事を沢庵漬けと命名しました。

まとめ:新馬場駅の近くにあった、たくあんの由来

新馬場駅の近くにあった、たくあんの由来

引用:Google Map

新馬場駅は普通しか停まりませんが、無駄にホームが長くなってます。

これは北馬場駅と南馬場駅を統合した結果です。

ベイエリアは近代的ですが、駅の周辺は旧東海道の影響なのか、寺社が結構あります。

特に品川神社はオススメ。
パワースポット巡りに良き。

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