引用:Google Map
今回もちょっと気になった、というか駅名称の元ネタなんだろな?と思ったので、調べてみました。
雑色エリアは隣の六郷土手の「六郷」のうちの1つでした。
6つの村の中でもちょっと規模が大きかった・・・というよりは、駅間距離的に設置しとこ。みたいな理由で設置したように思います。
雑色駅、大進化の歴史。駅名称の由来は何じゃいな
引用:Google Map/林雅彦さん
雑色駅の開業は結構古くて、京急の駅としては最古参に近いです。
最初は路面電車の駅みたいな感じでした。
雑色駅の開業
雑色駅は1901年2月1日に開業しました。
六郷土手の元駅3つや、京急蒲田駅と一緒の日です。
引用元:Google Map
下町駅は鉄道専用の軌道になる時、駅間が短すぎる事を理由に廃止。
出村駅は戦争による被害が激しく、復旧が難しくなって廃止になりました。
駅の拡張と高架化
1979年7月に6両まで対応できるホームとなりました。
この時に構内踏切も廃止して、地下道で上下ホームが繋がる構造に変更。
そして京急蒲田駅の要塞化にともなって、雑色駅も高架化されました。
最初は路面の停留所でしたが、今では立派な高架駅ですね。
雑色駅の利用者数はまぁまぁ多めで、普通のみの停車駅の中で最も多い。
これは東海道本線や京浜東北線の駅が周りにないので、一帯の需要を全部吸い取っているのが原因でしょう。
実際、雑色駅には併設の自転車置き場がわりと大きめです。
雑色駅は普通しか停まりませんが・・・
- 平日朝7時台(上り)で8本ある
- 隣が京急蒲田駅で、緩急接続している
という点で、そっこまで不便な駅ではありません。
雑色駅の名称は何?どんな色?
引用:Google Map
駅名は当時の地名、雑色村から取ってます。
じゃぁ、その雑色とは何なのか・・・というと、役務名だったらしい。
ですので、どっちかというと鎌倉幕府向けの雑役だと思われます。
ただ、こんな東京の端っこから通勤していたとは考えられません。
実家はここにあって、鎌倉で住み込みで働いてたんでしょうね、多分。知らんけど。
雑色あたりの第一京浜、どうなる?
引用元:Google Map
少し蒲田寄りの所、拡幅工事用に用地を抑えられてます。
だけど、全然買収が進んでないそうです。
そもそも事業認可まで行ってないみたいで、全然駅付近まで用地取得が進んでません。
部分的に消えてる所はありますが・・・歯抜けみたいな感じ。
空白地は一時的に駐車場とかで収益を取ってるみたいです。
ただ、だいぶと時間かかりそう。
雑色にある施設や特徴ある道路、公園
引用:Google Map
雑色の周りもほぼ住宅街で、一部は京急系列の集合住宅もあります。
ま、観光するほどの場所ではないんで寺社とか観光地は無しで。
七辻
引用:Google Map
雑色と蒲田の間にある、七差路交差点です。
この七差路は形状としてハッキリと七差路になっているので、信号による交通整理が不可能とされてます。
というわけで、信号機なし。
その方が逆に慎重に運転するので、事故になりづらそう?ですね。
東京都立六郷工科高等学校
引用:Google Map
都立の工科高等学校ですね。
第一屋製パン株式会社の本社工場跡地に校舎が建てられました。
機械工学、自動車工学、電気工学、デザインの学科があります。
自動車整備士とか、電気工事士、グラフィックデザインの仕事を目指したい人は、早々にこういう所で勉強して社会人になるのも良いでしょうな。
進路は、就職・進学が半々くらいでした。
といっても大学よりは専門学校に行く人の方が多い感じ。
就職先はトヨタ、日産、いすゞ
東日本旅客鉄道、京浜急行電鉄、総合車両製作所
関東電気保安協会、羽田空港サービス・・・が記載されてました。
参考:東京都立六郷工科高等学校
西六郷公園(タイヤ公園)
引用:Google Map
JR東海道本線をちょい超えた先。
公園にタイヤが転がってます。ま、ただ転がってるだけじゃないんですけど。
遊具の一部になっていたり、タイヤで恐竜なんか作ってたり。
広さもまぁまぁあって、滑り台は2台あります。
整備がしっかりされていて、キレイなお手洗いと休憩スペース、授乳室もあり、子育て世帯にはかなりありがたい公園です。
道路脇の花壇もキレイにしてあるし、全体が砂場なんだけど水場も用意されてて、帰る前に一通り洗う事もできます。
雑色商店街
引用:Google Map
一部にアーケードが付いている商店街です。
東西のメイン通りは京急本線からJR線くらいまで。
その間に南北方向にも少し広がってます。
総菜屋、和菓子屋、焼き鳥屋があって、食べ歩きができるよ。
まとめ:雑色は色じゃなくて、役務の名称だったわ
引用:Google Map
雑色というのは鎌倉時代に幕府に仕えていた雑務屋さんの事でした。
といっても東京なんで、ここから鎌倉まで通勤していたワケではないでしょう。
多分ですが、そういう仕事に就いていた人らの家系が集まって、雑色あたりに住んでいたと考えられます。
住むには、まぁ悪くない所。
商店街がありますし、ちょっと動けば蒲田ですし、繁華街から離れているので静かさもあります。
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